10  民法改正・基本の「ほ」  〜もちろん解釈。「もちろん」出来ますか?〜

もちろん解釈。「もちろん」出来ますか?





法解釈のひとつに、
「もちろん解釈」ってのがあります。





何かというと。
「A」につき
「X」という結論をとる規定が置かれているとき、




「B」については規定が置かれていないが、
当然のごとく上記規定を類推解釈する
といった法解釈の技法です。





民法738条により、
成年被後見人が婚姻をする」場合、
「その成年後見人の同意を要しない」
という結論がとられます。





そうすると、
被保佐人が婚姻をする」場合については、
特に規定がないけれど、





もちろん738条が類推され、
「保佐人の同意を要しない」という結論に達します。





なぜ「もちろん」と言えるのかというと、





被保佐人は、
成年被後見人よりも
行為能力の欠ける程度が低いから、





成年被後見人の場合に不要である以上、
被保佐人の場合にだって「もちろん」不要、
ということなんです。














私、
とっても心配症です 笑
だから、
「もちろん解釈」が嫌いです。





物の本を見て、
もちろん解釈から見てとれる帰結が
記述してある箇所を確認しないと
不安です。





出来ることなら、
出来る限り条文に書いておいて欲しい。
「〜について準用する。」とか
「〜について同様とする。」で良いからさ。







今回の法改正は、
「国民一般に分かりやすいものとする」こと
を大きな目的としており、






自明のルールについても
出来るだけ法典の中に明記しようというのが
基本的な方向性です。






たとえば、
弁済によって債権が消滅する、
という基本ルールについて
明文の規定を設けることで、
ほぼ固まっています。





(※ 中間論点整理では、
   弁済によって債権が消滅する、
   という基本ルールについて
   「明文の規定を設けるものとしてはどうか。」
   という文末表現がなされている。
   これは
   「具体的な内容についてのコンセンサスがあると見られる」
   ことを意味している。
   つまり
   上記文末表現なら、ほぼ決まりってこと。)





でも、
もちろん解釈されている箇所について明文化する、
なんて話は何処にも書かれていない。





本当に、
「国民“一般に”分かりやすいもの」になるのだろうか。。。苦笑






坂本龍治